
尾張津島天王祭(おわりつしまてんのうまつり)は、愛知県津島市を舞台に、毎年7月の第4土・日曜に開催される伝統の川祭りです。国の重要無形民俗文化財(1980年指定)、さらにユネスコ無形文化遺産(2016年登録)にも選ばれた、日本屈指の夏の風物詩です。
この記事では、尾張津島天王祭の歴史がいつから始まったのか、起源から現代までの歩みを年表とともに徹底解説します。
尾張津島天王祭の概要

尾張津島天王祭は、津島神社(旧称「牛頭天王社」)の祭礼として川を舞台に行われます。鯉の泳ぐ丸池を中心に、夜は提灯を灯した「まきわら船」が水面を染め、翌朝は若衆が鉾を担いで池に飛び込む「鉾持ち泳ぎ神事」が勇壮に繰り広げられます。
項目 | 内容 |
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開催時期 | 毎年7月第4土曜(宵祭)・翌日曜(朝祭) |
会場 | 天王川公園 丸池および津島神社周辺 |
来場者数 | 10〜15万人(通常年) |
船数 | 津島五車+市江車の計6隻 |
文化財 | 重要無形民俗文化財(1980年) ユネスコ無形文化遺産(2016年) |
600年以上続く由緒ある神事であると同時に、観光客にも開かれたエンターテインメント性の高い川祭りとして知られます。
尾張津島天王祭の歴史年表
尾張津島天王祭の歴史を主要な出来事ごとにまとめた年表をまとめてみました。
年代・年次 | 主な出来事 |
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15世紀後期 | 津島神社の御霊会(疫病退散・五穀豊穣祈願)として、川上に舟を浮かべる行事が始まる。 |
戦国時代(1570~1590年代頃) | 織田信長・豊臣秀吉ら大名層が津島を訪れ、舟上の催し「舟楽ノ景」を観覧。 |
江戸中期 | 現在の「まきわら船」様式(真柱・半円状・円幕提灯)と「鉾持ち泳ぎ」が確立。 |
明治時代後期 | 神仏分離令・廃藩置県により一時運営体制を見直すが、市民と神社の協力で継続。 |
大正時代 | 鉄道網の整備で県内外からの観客が急増。御旅所・会所など近代建築で再整備。 |
昭和55年(1980年) | 行事全体が国指定重要無形民俗文化財に登録。保存会を設立し技術継承を体系化。 |
平成28年(2016年) | 「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産に登録。 |
2020–2021年 | 新型コロナウイルス感染拡大により史上初の2年連続全面中止。 |
2022年 | 規模を縮小して段階的に再開。オンライン展示や限定開催で祭りの灯を守る。 |
2023年 | 従来どおりの路上流し・鉾持ち神事を本格復活。LED提灯試験導入やARガイド開始。 |
次の項からは、室町期の起源から現代のデジタル化まで、年表の内容を詳しく解説します。
尾張津島天王祭はいつから?歴史の歩みと受け継がれ方を解説
尾張津島天王祭の起源から成立、発展にいたるまで、歴史の歩みと受け継がれ方を解説します。
祭りの起源|室町時代後期の創始
尾張津島天王祭の始まりは、室町時代後期(15世紀)と伝えられています。 津島神社では牛頭天王(ごずてんのう)を祀り、疫病退散・五穀豊穣を願う御霊会(みたまえ)が行われていました。
その一環として、川上に船を浮かべ、牛頭天王の御霊を慰める「川祭り」の様式が生まれたのです。 記録に「川上にて天王の舟並ぶ」とあるのが、この祭りを裏付けます。
祭りの名前の変遷
尾張津島天王祭は、時代とともに名前も変化しています。
時代 | 祭りの名前 |
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室町時代〜 | 牛頭天王御霊会 |
戦国時代〜 | 津島祭 |
江戸時代〜 | |
近代以降 | 尾張津島天王祭 |
「尾張津島」の名は、尾張国(現・愛知県西部)の津島市を冠し、全国的に認知されるよう近年に付加されたものです。
室町時代から安土桃山期までの発展
戦国大名や領主層が津島を訪れる中で、川祭りは次第に豪華になっていきます。
主な出来事 | 内容 |
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織田信長・豊臣秀吉の観覧 | 天正年間(1570–1590年代)、信長が津島において「舟楽ノ景」を楽しんだとの逸話が残る。 |
船の装飾 | 当初は笹竹と短冊が中心でしたが、やがて幕や金襴、提灯が用いられるようになる。 |
鉾持ち神事の萌芽 | 鉾を立てたまま水面を泳ぐ行為が、戦国期に若衆の勇壮さを示す演出として取り入れられたと考えられます。 |
江戸時代の隆盛と様式の確立
江戸時代に入ると尾張藩(徳川御三家・尾張徳川家)の支援を得て、祭礼は大規模化。現在に続く主な様式がほぼ完成します。
主な出来事 | 内容 |
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提灯船(車楽舟)の登場 | 幕府への献上品として製作された豪華な提灯船が模範となり、丸池に浮かぶ複数隻の船が川を周回する形に。 |
提灯数の意味付け | 中央の真柱に1年の月数、半円に1年の日数相当の提灯を吊るす暦的装飾が定着。 |
鉾持ち泳ぎの儀式化 | 船上の祭事から、鉾を担いだまま川を泳ぎ渡り御旅所へ神輿を迎え入れる行事が神事として編成。 |
この時代に「宵祭・朝祭」の二部構成が確立し、夜の幻想と朝の勇壮という対比美が生まれたのです。
近代—明治・大正の変遷
明治維新後の神仏分離令や廃藩置県により、一時的に祭礼の運営体制が見直されましたが、市民有志と神社の協力で伝統は途絶えませんでした。
主な出来事 | 内容 |
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明治20年代 | 公道拡張に合わせて川岸の整備が進み、観客エリアが拡大。 |
大正期 | 写真機の普及と鉄道網の整備で、津島天王祭は県内外からの見物客を大量に誘致。 |
祭礼会所の整備 | 御旅所や祭礼本部が近代建築で再建され、運営が一元化。 |
昭和期—文化財指定と保存会結成
戦後も祭礼は継続されましたが、高度経済成長期になると、道路拡張や交通安全の観点から「川まつり」の存続が危ぶまれました。
主な出来事 | 内容 |
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昭和55年(1980年) | 祭事全体が国指定重要無形民俗文化財に指定され、文化財保護の枠組みで保存会が設立。これにより装飾技術や鉾持ち泳ぎの手順が記録され、後継者育成も体系化。 |
昭和60年代 | 提灯船の修復技術や幕の染め替え、囃子方の楽譜化が進み、伝統保持と観光振興の両立が図られる。 |
平成・令和—世界遺産登録と現代への継承
平成期以降、国内外からの注目が一段と高まりました。
主な出来事 | 内容 |
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平成28年(2016年) | 「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産に登録。海外メディアでも「日本の川に浮かぶ光の祭典」として取り上げられる。 |
令和以降 | LED提灯の試験導入やARガイドアプリの開発、SNS連携によるライブ配信など、新技術を取り入れつつ伝統を継承。 |
コロナ禍対応 | 2020–21年は全面中止となったものの、オンライン七夕飾り展示や限定人員での小規模開催を実施し、地域の「祭りの灯」を守る。 |
まとめ|600年以上の歴史を持つ川祭りを体感しよう
尾張津島天王祭は、室町時代から始まり、戦国・江戸を経て近代・現代に至るまで時代を映しながらも、600年の核心的様式を守り続けた稀有な川祭りです。
炎の提灯が川面に揺れる幻想、若衆の鉾が水飛沫を上げる勇壮――そのすべてが、600年を超える時間を体感する体験です。 この記事で歴史と見どころを押さえ、時空を越えた川の絵巻を、その目で心で味わってください。